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オジサンの魅力を活かした
ポルノ創作の面白さ

オジサンが持つ様々な魅力や特性を活かしたポルノグラフィ(私はこれを【オジサンポルノ】と呼んでいます)を創作する上での手法や面白さについて、超個人的な独断と偏見に基づいて言語化してまとめてみました。あくまで私個人の体感と経験から導き出した“与太話”ですので、内容の是非にとらわれず、ひとつの意見や考察として楽しんでいただければ幸いです。

※文章内では40代後半から60代後半あたりのまでの熟年男性およびそれらをモチーフとしたキャラクターや概念のことをひとまとめにして【オジサン】と称しています。また、【受け手】とは作品を見たり読んだりプレイしたりするユーザーのことを指しています。なお、語りに熱が入り表現がお下劣になっている部分も多々ございます、ご注意ください。

オジサンの魅力

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まずは私がこれほどまでにオジサンポルノ創作に傾倒している理由を軽く交えながら、オジサンに求められる普遍的な魅力や役割についての個人的な考察と、そしてそれらを踏まえた上でオジサンを創作物に用いる利点とはなんなのかを、おおまかにまとめながら語りたいと思います。

現実と理想の齟齬(そご)

オジサンの魅力といえば一般的に、若い男にはない包容力、経験値の豊富さによる安定感、年齢に比例した経済力や社会的地位、そしてそんな大人の落ち着きの中に不意に見せる無防備さやかわいらしさとのギャップといった、“経年”により培われた地力と意外な“隙”といった複合的な要素が挙げられることが多いと思います。

しかし現実問題、社会に出て自身が中年と呼ばれる年齢になったことでより確信を持って痛感しておりますが、【包容力・安定感・経済力・地位・プラスになる弱点を兼ね備えたオジサン】など、この現実世界では滅多にお目にかかれるものではございません。自身のことで手一杯な包容力皆無なオジサンや、新入社員にすら劣る能力と判断力を持ちながらも年功序列という悲しきシステムにより厄介な役職に居座り続けるオジサン、そして一昔前であればエスカレーター式に向上したであろう経済力ですらこの不安定な情勢によりままならず、その上魅力を引き立たせるはずの小さな隙は致命的な大きさまで肥大してしまい、かわいげの欠片すらも見つけることが困難となりつつある……。私が子供の頃からずっと思い描いてきた普遍的なオジサン像は、成人してからたった数年の間にもろくも崩れ去ってしまいました。

しかしどうしても諦めきれなかった私は、テレビやドラマ、アニメの中に登場するオジサンを見ているうちに、あるひとつの真理にたどり着きました。「現実世界に魅力的なオジサンが見当たらないのでならば、いっそ自分の手で魅力的なオジサンを“創って”しまえばいいのでは?」と。かくして私は理想のオジサンを捏造するため、本格的な創作活動に身を投じ、更なる深みへと足を踏み入れたのでした……。

オジサンを創作物に用いる利点

創作物の大きな強みのひとつに、“自称や三人称視点(神の視点)を用いた即効性のあるキャラ紹介”というものがあります。現実世界では初対面の相手から一目で得られる情報はそのほとんどが“推測”止まりですが、例えば〈山田太郎 56歳 妻子あり 大手商社営業部部長〉といったように、コミック作品であればキャラ登場時のテロップやモノローグで、テキスト主体の作品であれば地の文の記述によって、そのキャラの個人情報をある程度一括で提示することができてしまうのです。これはすなわち、時間や手数をかけずに“確定した前提条件”を受け手に突きつけられるということでもあります。もちろん作中にその前提条件に則した綿密な描写や裏付けとなる言動をしっかりと盛り込まないと説得力は出せませんが、【経年を必要とするステータス設定をキャラが登場した瞬間から付与できる】ということには、表現の手法として相当な旨味があるといえます。そしてそういった経年的変化の省略による恩恵をより多く受けられるのが、年齢層の高いオジサンなのです。

特にポルノ創作においてはテンポの良さと即効性が非常に重要な要素となるため、経年的なステータス設定を活かしやすいオジサンの存在は、ポルノとの親和性が非常に高いといえます。例えば、正義感の強い真面目な男が背徳的な快楽によって人として著しく堕落してしまうといった【王道の“快楽堕ち”を描く場合、墜ちる男の年齢はより年長に設定しておいた方が社会的地位の喪失度も、道徳的観念を辱める重みも、状況や状態の不可逆性も格段に増していく】のです。“若者の未来を摘み取る”というのもひとつの背徳的表現ではありますが、個人的には“これから発生するであろう道徳を削る”表現よりも、“これまで積み上げてきた道徳が崩れる”表現の方が、より強いカタルシスを設けやすいと感じています。また、年長であればあるほどすべての物事において“費やした回数や時間”の設定を大きく配分できるため、性経験の豊富さを表現するにしても、逆に“ごぶさた”な期間の長さを表現するにしても、【数値による印象付けはより年長者である方が効力も大きく】なります。

ゲイポルノにおける
オジサンの性的指向について

ちなみに余談になりますが、私はオジサンポルノを創作する際、基本的には【作品に登場するオジサンたちをゲイまたは無自覚なバイセクシャルであると割り切って描く】ようにしています。私自身がゲイの男である以上、私が作るものはすべてゲイポルノ(男性の性をモチーフにしたポルノ)にしか成り得ませんし、自身がもっとも好む題材を追求することがポルノ創作において大切な礼儀と合理性だとも思っております。そのため、創作上“不都合”でしかない完全なヘテロ男性という概念は、最初から取り払ってキャラ設定や物語を錬るようにしています。オジサンポルノの性質上、既婚者や子持ちのオジサンをメインモチーフ(慰み者)に据えることも多いため、彼らが同性にも欲情し得る素質を持ち合わせていないと物語がそこで頓挫してしまう場合が多いですし、同性とのスキンシップにいちいち拒絶反応を起こしている描写を挟んでいては展開の妨げにしかなりません。なので、必ずしも作中で明言するわけではありませんし、テンポが崩れない程度には軽く葛藤描写も入れたりはしますが、それまでノンケとして生きてきたオジサンであっても“はっきりと自覚していないだけで実はバイセクシャルだった”という体で都合よく話を進めてしまう場合がほとんどです。

いわゆる“ノンケ食い”描写の需要は把握しておりますが、実際問題50過ぎの完全ヘテロ男性が同性相手に勃起するというのは洗脳や催眠、またはそれに準ずる薬物に頼らない限りむしろ不自然であり、ヘテロ男性が同性から与えられる快楽に溺れてしまった時点で、ノンケ食いのもっとも重要な条件である“ノンケであること”が成立しなくなってしまう(ないがしろにされてしまう)というのが私の見解でありこだわりでもあります。正直なところ個人的には、アナルの感度が良いことと性的指向は分けて考えるべきだし、本当の意味でノンケ食いを描くのであれば、それはヘテロ男性の意思を無視したゲイによる一方的なレイプであるべきだとすら思っています。なので私は常日頃から“同性相手でも勃起するヘテロ男性”といったノンケとして成立しないノンケもどき描写を意識的に避け、「ゲイポルノなんだから登場するオジサンはことごとくゲイまたはバイであって然るべき!」といった開き直りの心を持って創作に勤しんでおります。某人気海外アニメにも「男はだれでもちょっとゲイ」という至言がありますし、対象者を限定する性的なコンテンツである以上、こういった割り切りはどうしても必要になってくるんですよね……。

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オジサンを活用する手法

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次に、オジサンの魅力をできる限りポルノに適した形で活用するための手法を具体的に語っていきたいと思います。

長所と短所を活かす

基本中の基本であるからこそ一定の効果を期待できるのが、キャラの長所と短所を活かす方法です。

まず長所についてですが、私はいつもオジサンの長所をざっくり3つのタイプに分けて付与するようにしています。まず1つ目は【受け手に好感を抱かせるための長所】です。思いやりがあり気が利く、困っている人に自然と手を貸す、適度に謙虚、真面目で勤勉などといった、普遍的な善性が無自覚に発露したタイプの長所がこれに当たります。このタイプの長所には、オジサンの好感度を底上げし、濡れ場への期待値(早くスケベな姿が見たい!という欲求)を高める効果があります。

2つ目は【人に褒められるとうれしくなってしまう肉体的な長所】です。学生時代に鍛えた名残の残るたくましい腕や足、仕事帰りのジム通いで培った肉体美、誰に見られても恥ずかしくない(むしろ見せたい)立派な巨根、老いらくの風俗通いを可能とする堅強な精力、美しく色気のある手や首筋などといった、肉体にまつわる長所がこれに当たります。このタイプの長所には、オジサンの承認欲求を揺さぶり、自身の性的な魅力や相手からの性的関心を自覚させる役割があり、端的にいうとこれは【性的な関係を築くきっかけを作って濡れ場へと誘導するための長所】ということになります。こういった肉体的長所を相手役(竿役および穴役)のキャラから率直に褒められることで、オジサンに「どうやらこいつは俺のことをスケベな目で見ているらしい」と強く意識させ、相手との関係に性的な可能性をほのめかしつつ、照れるなり戸惑うなりほだされるなりの展開に発展させていくというのが汎用的な活用方法になります。ちなみに、このタイプの長所は射精欲(肉欲)を重視した軽薄なセックス(メイク・ラブではなくファックの方)に活用した方が映える場合が多いです。

そして3つ目は【指摘されて初めて自覚する内面的な長所】です。少々漠然とした言い回しになりましたが、具体的には【そのオジサンに対して強い親愛の情と尊敬を抱いている人だけが指摘できる繊細な長所】がこれに当たります。このタイプの長所には、指摘してくれた相手がオジサンのことを深く観察しているという実情と、ふたりの間にある確固たる信頼関係を明示する作用があります。これは他のふたつに比べると使いどころがやや限定的ではありますが、想いの通じ合った本命同士の“和姦”を描く際に効力を発揮します。自覚のない長所を互いに把握し合っているという間柄は硬く結ばれた絆の証明になり得るため、執拗に互いを求め合う濃密なイチャラブセックスを描く上で確かな説得力となってくれます。

また、オジサンポルノ(特に陵辱系作品)においては上記3点の他にも、キャラの長所には【辱められることを前提としたお膳立て】という重要な活用法もあります。前項で挙げた例と重複しますが、真面目で道徳的なオジサンが性的快楽によって目も当てられないほど堕落してしまったり、賢さが売りのオジサンが頭脳戦に敗れて貞操の危機に陥ったり、腕っぷしが取りえのオジサンが自身よりも圧倒的に強い腕力によって陵辱されたりと、【長年“自身の武器”として頼ってきた長所をあっけなくむげにされる様を描くことで、オジサンたちをより手痛く辱めることができる】のです。このようにオジサンを陵辱するポルノ創作では、まず【プライドのより所となっている長所を大げさに提示し、そしてそれらをあっけなく打ちのめすという二段構え】を意識すると、より良い濡れ場が描けると思います。

続いて短所についてですが、私の場合、オジサンの短所は長所のようにキャラの魅力や感情面の制御ではなく、【物語において主軸となる事態の原因(発端)として付与する】ことが多いです。例えば、傲慢な性格が災いして部下に復讐されたり、自制心のなさから不貞を働いたり、ギャンブル依存によって借金苦に陥ったり、酒癖の悪さから恥ずかしい弱みを握られてしまったりと、短所を持たせることで起承転結の承を円滑に展開させることができます。

それから、短所にも自覚があるものとないものの2種類があり、前者は能動的な展開に活かしやすく、後者は受動的な展開に活きます。自覚のある短所はコンプレックスという形に置き換えても適用できるため、嫉妬により他キャラの長所を相対的に目立たせる作用もあり、人気者へのねたみを発端とするような理不尽で不条理な物語にも活用できます。無自覚な短所は本人に100%の非がある印象を植え付けやすいので、“成敗”という体裁にのっとった爽快感のある展開に適しています。

前述した通り、ポルノ作品の場合はテンポの良さと即効性を意識すべきなので、カタルシスのためのフラストレーションとしてあえて濁したりじらしたりする意図がない限りは、長所も短所も大げさなくらいわかりやすく記号的に付与した方が受け手に対して親切な表現になると思います。なぜなら性的に興奮した脳は普段よりも多少処理能力が鈍るため、あまりに入り組んだ仕掛けを用意してしまうと、受け手の没入感を邪魔してしまうことがあるからです。これは長所や短所に限った話ではなく、ポルノ作品における“キャラ設定”はオジサンの性的な魅力や濡れ場における高揚感および背徳感を高める意味合いの方が強いため、現実味を重視するよりも、多少わざとらしいほど露骨に表現するくらいの方が狙い通りの意図が活きると思います。

社会的地位の高さを活かす

オジサンはその年齢設定の高さから登場人物の中で最年長者であったり、組織の取りまとめ役であったりと、【高い社会的地位に就いているキャラとして登場させやすい】という利点があります。そしてその“立場”と“強い権力”を持った状態を活かせば、ポルノ創作に適した様々な力関係やシチュエーションを描くことができます。

社会的地位の高さをネガティブに活かすのであれば、“権力を悪用して性欲を満たす絶倫オジサン”というキャラ単体の設定を用意するだけでも、自身に抵抗できない弱い立場の相手に肉体関係を迫る様子をオジサン主体の性描写や心理描写で濃厚に描いてみたり、そういった悪行を描いた上で復讐を名目に性的および社会的に成敗される展開や、自身よりもさらに強い権力を持った好色なジジイの慰み者になってしまう展開など、そのキャラを起点とした様々な濡れ場のシチュエーションを錬ることができます。こういった社会的地位を悪用するオジサンを描く際は、ただの“悪人”にするのではなく【満たされない承認欲求や薄弱な自己肯定感による長年のフラストレーションがチンポを通してあふれ出てしまった】といった物悲しさを強調すると、オジサン特有の哀愁も表現することができ、背徳的な濡れ場により深みが出せると思います。

逆に、社会的地位の高さをポジティブに活かせば、能力が高い上に傲慢さとも縁遠く、様々な人から慕われている人格者といった“成熟”したオジサンの魅力により確かな説得力を持たせることができます。そしてそんな“高嶺の花”のようなキャラ設定は、年下の方からアプローチする年の差恋愛の関係性に強く映えます。オジサンは精神的に成熟していればいるほど慢心を抱かないがゆえに自身の性的な市場価値を低く見積もりがちであるため、人に好かれているという自覚はあっても自身の性的な魅力には懐疑的に構えていることも少なくありません。そのため、年下から迫られることで【男としての色気を十分保持しているにも関わらず、本人がもっとも自身の魅力に鈍感で懐疑的である】といったオジサンのいじらしさを引き出すこともできます。また、やり取りの描写を重ねていく上で“相手が年下であろうと見下さず真摯に向き合う姿勢”を徹底すれば、オジサンの魅力や好感度はさらに高くなっていきます。ちなみに、社会的地位に落差のあるオジサン同士の恋愛を描く場合は、嫉妬や劣等感など多少ネガティブな要素を混ぜることもできますが、極端にメリハリのある関係性の方がポルノには向いているため、利点が中和してしまうような表現だけは避けたほうが賢明だと思います。

父親であることを活かす

オジサンに付与できるステータス設定の中で個人的にもっともポルノに利用しやすいと感じるのは、“父親である”ことです。父親という概念には、ポルノ作品には欠かせないたくさんの利点が詰まっています(※性的指向の項で前述した通りノンケであることへの期待値については除外します)。

父親であるというステータスがポルノ創作にもたらす最大の特典は、とにもかくにも【背徳的カタルシスが大きい】ということです。父親という肩書きはオジサンに様々な形で制約的環境や道徳的責任を課せますが、それらのフラストレーションが大きければ大きいほど、本人がそれを逸脱したり犯したりする際の衝撃や開放感、そして背徳的な快感は増幅します。なにより創作物には実際の被害者は存在しないため、現実であれば取り返しがつかない背徳的行為であっても、好きなように好きなだけ描くことができます。オジサンの背徳的行為によってショックを受けるであろう登場人物に対して同情を抱くことも当然ありますが、そうして同情を覚えながらも性的興奮に飲み込まれる体験こそ、創作物による背徳的カタルシスの恩恵であると私は考えています。これは余談であり私個人の主義や思想の話になってしまいますが、ポルノには人間誰しもが大なり小なり抱えている破廉恥でみっともない願望を誰にも迷惑をかけない合理的な形で昇華するといった“慰め”や“救済”の役割もあるのだろうと創作者としても消費者としても実感しているため、現実では実行不可能なこと(実行すべきではないこと)こそ露骨かつ過剰に表現しようと毎回努力を続けております。

父親に課せられるフラストレーションとそれによって生まれる背徳的カタルシスにも様々な形がありますが、【夜の営みの自然消滅によるセックスレスや配偶者や子供に対する家長としての責任をフラストレーションとして描き、その上で家族に対して取り返しのつかない不貞行為を働く】というのがもっとも汎用的なパターンだと思います。この様式ではオジサンが“家族に愛されている立派な父親”なのか、それとも“ないがしろにされている惨めな父親”なのかによって、背徳感の毛色がまったく変わってきます。家族間の仲が良好であるにも関わらず不貞を働く場合は“破壊”の興奮が強くなり、家庭が冷めきっているがゆえに不貞を働いてしまう場合は“再生”の悦びが色濃くなります。前者の場合はオジサンを“タチ”にして不倫セックスに対する能動的な姿勢を強調し、不貞を働く際は何日もオナ禁をして行為を始める前から直立に近いほどバキバキに勃起しているという描写を入れると、家庭を崩壊に導く悪いチンポという破廉恥な印象をより強められます。後者の場合はオジサンを“ウケ”にして寂しさや人恋しさを演出し、自分より年齢も社会的地位も高い複数の家庭持ち(別の父親)に抱かれることで自身の存在価値をかみ締め、父親が別の父親の子種を仕込まれるという構図を作ることで“立派な父親になりそこなった”という切ない印象も深められます。どちらの場合も不倫セックスの頻度を加速度的に増やしたり、長時間猿のように腰を振って中出しを執拗に繰り返すといった、配偶者との絆を“上書き”する描写を意識するとなお効果的です。また、不倫相手は職場やご近所さんなど“生活圏内”に見繕う方が悪事の印象が強まります。そして家族の不在時に自宅へ不倫相手を招き、家中のいたるところで中出しセックスをしまくるといった濡れ場をラストシーンに持ってくれば、強烈な余韻を残しつつ物語を締めることもできます。ちなみに不貞を働く背徳感を主軸にした濡れ場の構成は、先人たちが作ったポルノ作品の中で王道や伝統がしっかりと固まっているものが多く、ある程度お約束を守った(軽く先読みができる程度の)起承転結になっていた方が、受け手の期待感を上手く誘導できると思います。

不貞に関連した背徳的な要素以外にも父親という“状態”には数々のポルノ的利点があるので、思いつくままにいくつか並べてみました→【奥さんの人となりによって本人の女性ウケがある程度想像できる】【現状のセックスレスを嘆く際に過去のセックス頻度や現在のオナニー頻度を自ら語らせ、どれだけ精力旺盛なのかを前もって提示できる】【子作りという本来の目的を済ませたのに射精をやめることができないという男の恥ずかしい機能を強調できる】【自身の個室を持てない場合が多く、自宅内におけるオナニー可能場所が限られてしまっている】【時間や場所が限られている中でのオナニーは惨めなので、自身の健康な金玉に対して複雑な思いを抱いている】【子作り経験により中出しセックスの悦びを知ってしまっている】【外見がどんなに温和で紳士的なオジサンであっても子供の数だけオマンコの中で射精をしたという事実がついて回る】【子供の数を中出しセックスに対する執着度に置き換えられる】【中出ししたいと思う男の心境を理解しているからこそ中出しされるときの幸福度が増す】【オナホールなどのオモチャを使用していることがバレた際の羞恥心が独り身のオジサンよりも格段に強い】【他人に裸をまじまじと見られる機会が少ないため、いざじっくりと見られるととても照れる】等々……。こうして意図的に曲解して仰々しく表現することで、ただ単に精力が旺盛なだけのオジサンをなんだかとってもいかがわしい生き物のように表現することができてしまうのです。

オジサン濃度の調整

これは魅力を活かすための手法ではなく、オジサンの性的な魅力を表現する上での留意点になるのですが、私はいつもキャラデザインや濡れ場を描写する際“濃度の調整”に気を配るようにしています。なぜなら2次元のオジサンと3次元のオジサンの間には“オジサン濃度”のグラデーションが存在しており、実際に(現実で)オジサンのアナルだって喜んで舐められます!といったガチガチな人に向けて作る作品と、“無機質な清潔感”をまとった“概念としてのオジサン”を求めている人に向けて作る作品とでは、【受け手の“濃度に対する許容値”がまったく変わってくる】からです。ですので、作品ごとにターゲット層を明確にし、体毛が省略して描かれているかどうか、ザーメンが黄みを帯びているかどうか、体のシワは年相応に描かれているか、腸内洗浄のくだりがあるかどうかなど、絵柄や描写の濃度をコンセプトに合わせて調整する配慮がどうしても重要になってきます。性的な好みというのは捨てるところがない分、食べたいと思う箇所も人それぞれであり、オジサンというモチーフひとつとっても需要はかなり細分化されているのだなぁと、作品を公開するたびに考えさせられます。

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オジサンの肉体的特性

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続いては、オジサンの肉体に宿る見た目としてのいやらしさについてを語らせていただきたいと思います。

経験値を想起させる局部の色味

生殖器の大小が少なからず男の自尊心に影響を与えているというのは言わずもがなですが、何十年も陰部を使い込んできたであろうオジサンにおいては、サイズ以外にもキャラ付けの要因となる効果的な要素があります。それは陰部の“色味”です。世間には昔からまことしやかに【陰部が黒ずんでいる人は性的な経験値が豊富である】といった、いわゆる“淫水焼け”に対する信仰が存在しています。実のところこの通説には医学的根拠はなく、個人差はあれど加齢とともにメラニン色素が皮膚に沈着するため、陰部が黒くなるのは男女共に普通のことだそうです。なのでこの通説が流行った背景には、自身の性的な経験値を“盛りたい”男たちの恥ずかしい願望があったのではないかとも言われています。しかしいまだにこの通説は一定の力を持ち続けており、ある意味“認知のゆがみ”ともいえる【使用頻度の高さ=色の濃さや黒ずみ】という認識は、ポルノ創作においてもしっかりと効力を発揮してくれます。そのため私はオジサンの陰部(局部)をサイズや形状だけではなく、色味(明暗)も含めてデザインするよう心がけています。ひたすらチンポだけをしごく質素なオナニーを続けてきたオジサンはチンポだけが露骨に黒ずんでいたり、実は乳首がすごい感じちゃうオジサンは顕著に肥大した色の濃い乳首のせいで言い逃れできなかったり、若い頃からアナニーばかりに執着してきたせいかオジサンなのに赤ちゃんみたいなかわいいピンク色のオチンチンが付いてたり、といった感じに“酷使度の差別化”を意識しながらオジサンの陰部をデザインすると、理屈を伴った性的なキャラ付けがはかどると思います。

だらしなさという隙

オジサンが“どこにでも居る普遍的なオジサン”として描かれる場合、いわゆるビール腹のメタボ体型で描かれることも多く、ストレート向けのポルノにおいては美少女との対比を際立たせるために“種付けオジサン”なる概念まで登場し、オジサンのだらしない油断した肉体がある種の逆説的な卑猥さとして計上されている場面も少なくありません。こういった【オジサンとはだらしない体つきをしているものである】という一般的な認識も、オジサンが持つ肉体的ないやらしさのひとつです。こうした目に見えた肉体のだらしなさには、“自身の肉体を引き締めることを怠っているという事実”と“誰も自身の肉体なんかに興味を持っていないという見限り”がにじんでいます。前述した内容と重複しますが、この“自身の肉体に性的な魅力なんてない”と割り切って期待を抑えている姿勢こそオジサン特有の“いじらしさ”であり、本人がスケベなことから遠のいているつもりでいればいるほど、若い時分にはなかったオジサンならではの性的な魅力がかもし出されるのだと私は思います。そうした油断や諦めの中に隠すようにしまわれた飢えや承認欲求を引きずり出されたとき、オジサンはオジサンとしての新たな恥じらいを覚え、とびきりいやらしい顔を見せてくれることでしょう。前述した父親のいやらしさと同様、こうして一般的にはセクシャルな扱いを受けていないオジサンという存在に、どのようにロジカルないやらしさを付与し、どれだけみだらに誇張できるかというのが、オジサンポルノを創作する上で重要な腕の見せどころだといえるでしょう。

オジサンの“デザイン”について

上記の内容も含め、オジサンの“デザイン”についてはpixivFANBOXの方により詳しくまとめた記事を上げております。pixivのアカウントがあれば誰でも読めますので、興味がある方はぜひこちらもご一読ください。

モチーフデザインについて 性的シンボルについて

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創作物の美点と創作の意義

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オジサンがポルノ創作にとって非常に使い勝手の良い素材であるということをひと通り語ってきましたが、最後に創作物であることの優位性とオジサンポルノを創作することの意義について語りたいと思います。

過剰表現という最大の武器

創作物における最大の美点は、なんといっても“現実の制約を受け付けない”ことです。物理法則や科学的根拠、社会の仕組みや法律、そして常識や倫理観といったあらゆる“縛り”から解き放たれ、過剰表現や誇張表現によって現実を超えたにはるかにみだらで気持ちの良い世界へオジサンたちを導いてやることこそ、オジサンポルノ創作の面白さなのだと思います。

実在するオジサンは素敵な人ばかりではありませんが、創作物であれば登場人物をすべて理想的なオジサンにすることができます。実在するオジサンの影響力には限りがありますが、創作物であれば宇宙を支配するオジサンだって描けます。実在するオジサンは誰しもが英雄ではありませんが、創作物であればどんなオジサンもヒーローになれます。実在するオジサンは空も飛べないし未来を予測する力だって持っていませんが、創作物であればその両方の力を兼ね備えたオジサンだって生み出せるのです。そうして、なんだってできる、何者にでも成れる、どんな希望も叶えられるはずのオジサンたちが、みんな揃いも揃って金玉の意志に支配され、ひたすらチンポをこすることに執着し、射精の質を高めるためだけにすべてを投げ出してしまう姿を描くことこそ、オジサンを徹底的に辱める最高の手段だと私は確信しております。

オジサンポルノを創作する意義

現代ではインターネットを利用することで、いとも簡単に実在するスケベなオジサンたちを目にすることができてしまいます。しかし同時に、そういった便利な環境は“欲望のテンプレート化”を招き、“手の届く範囲にある及第点のオカズで妥協する”といった怠惰な思考態度を常習化させ、人間にとってものすごく大切な“妄想力”を衰えさせる一方なのではないかと不安を感じることも多々あります。なので私は【常に自分にとっての100点満点を想像する努力を習慣化すること】こそオジサンポルノを創作する意義なのではないかと常々感じております。便利であれど暗いニュースも多い今の世の中において、妄想や想像といった費用対効果の高い娯楽は慰めや救いになりますし、架空のオジサンについて細やかな想像を巡らすことは、実生活における“相手の立場になってものを考える”という礼儀作法の訓練にもなっているような気がします。

以上、長々とオジサンポルノ創作に対する思いを語らせていただきましたが、自身の妄想を愛して活かすオジサンポルノ創作の悦びや楽しさが、ほんの少しでも皆さんに伝わっていれば本望です。ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。どうか世界にオジサンポルノがあふれ、後世に続くフケ専の同志達が少しでも生きやすい世の中になりますように……。

笑うびてい骨 どぶねずみ

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